トップインタビュー(第26回)

中小企業は感覚で経営する

2017.05.10

クリップについて

 豆腐業界初の売上高100億円を達成した、相模屋食料(前橋市)。鳥越淳司社長の下、その勢いは止まらず、直近期は200億円を超えた。成熟市場と見られていた豆腐の可能性をどのようにして開いたのか。
(聞き手は日経トップリーダー編集長 北方雅人)

──これからの日本の企業は成熟市場の中でいかに伸びるかがポイントです。鳥越さんは15年前に豆腐メーカーの相模屋食料に入社し、売り上げを約7倍の201億円(2016年2月期)にしました。勝因は何ですか。

(写真/菊池一郎)

(写真/菊池一郎)

鳥越:私が入社した02年当時、業界の多くの人が、豆腐という伝統的な食品に対して、守るべきもの、あるいは衰退を止めるのがせいぜいで、これ以上はやりようがないものと考えていました。

 毎日、これほど食べられている食品なのに、豆腐をネガティブ思考で見るばかり。こんなにもったいない話はありません。私からすれば、豆腐市場はほとんど開拓が進んでいないブルーオーシャンに見えたのです。それに、雪印乳業(当時)から転じ、せっかくこの豆腐業界に入ったのだから楽しくやりたいと思い、「業界トップになる」「1000億円企業になる」と宣言した。社員には笑われましたけどね。

異業種出身だからできた

──異業種から豆腐業界を見たことが大きかったようですね。

鳥越:まだ29歳でしたし、チャンスの山を前にして、楽しくて仕方ありませんでした。当時の社長である義父(江原寛一会長)も、そんな私の考えを認め、やりたいようにさせてくれました。05年には、41億円をかけて最新鋭の第三工場を前橋市に建設しました。木綿・絹豆腐の味と品質を改良し、生産能力も大きく引き上げるためです。売り上げが32億円のときでしたから、大きな決断だったかもしれません。

 怖くなかったかとよく聞かれるのですが、怖がるほど知識がなかった。従来は豆腐を冷ましてから水中でパックに詰めていましたが、新工場ではロボットを使い、熱いうちにパックする新技術を取り入れたので、おいしくて日持ちする豆腐が作れる。だから、絶対に売れるという自信がありました。

──「怖がるほど知識がなかった」とは、具体的にどんなことですか。

鳥越:豆腐メーカーが大型工場を造ると会社が潰れる、遠隔地に配送してはいけない、賞味期限を延ばすと買ってもらえない、といったことです。昔の製造技術では、どうしても品質保持に難があったからかもしれませんが、都市伝説のようなものです。

 現在、第三工場では毎日100万丁を生産。前橋から全国に配送しているし、賞味期限も5日から10日以上に伸ばしました。私は、業界では絶対にやってはいけないと言われていたことばかりをやってきましたが、どれも実行してしまえば、リスクでも何でもなかったのです。

──改革する上で、古参社員からの抵抗はなかったのですか。

鳥越:私は入社後、現場を知りたいと思い、2年間は早朝から職人たちと一緒に豆腐作りをしました。最初は、何も教えてくれなかったのですが、そのうち打ち解けて仲間になり、一通りの豆腐の作り方を学んだのです。

 よく、若い後継者が現場に乗り込んできて、小難しい理論を振りかざし、古参社員にダメ出しばかりして反発を食うということがあります。しかし、私は一兵卒としてやっていたので、誰も抵抗勢力になりませんでした。しかも、ロボットによる機械化といっても、効率一辺倒ではありません。おいしさを一番に置いて、ベテランの職人たちの感覚を生かしています。職人が五感で豆腐の状態を判断するという工程は決して省きません。

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連載記事≪トップインタビュー≫

鳥越 淳司(とりごえ・じゅんじ)

鳥越 淳司(とりごえ・じゅんじ)

1973年京都府生まれ。96年早稲田大学商学部卒業後、雪印乳業(当時)入社。相模屋食料の2代目社長、江原寛一氏(現会長)の三女と結婚し、2002年同社入社。04年専務。05年、周囲の反対を押し切って41億円を投じて最新鋭の第三工場を建設し、成長の基盤をつくった。07年社長就任。09年、豆腐業界では初めて売り上げ100億円を突破。熱狂的なガンダムファンで、そのキャラクターにちなんだ「ザクとうふ」を発売、ファンを喜ばせた。

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