戦国武将に学ぶ経営のヒント(第8回)

ライバルの存在が会社や経営者を成長させる

2016.01.19

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 越後(現在の新潟県)の龍・上杉謙信(1530~1578年)は第6回で取り上げた甲斐(現在の山梨県)の虎・武田信玄と生涯をかけて戦った宿命のライバルです。知略に富み、義を重んじた謙信は、NHKの大河ドラマの主役にもなった、誰でも名前を聞いたことがある有名な戦国武将です。まず簡単にその人柄やエピソードをご紹介しましょう。

 謙信は、越後守護代であった長尾為景の末子として生まれました。7歳から14歳まで春日山城下の林泉寺で過ごします。有名な禅師のもとで禅の修行などに励み、この時代に信仰心などが培われたといわれています。1543年に元服した後、病弱だった兄の養子となって家督を継ぎ、越後守護代に就きます。ここから謙信の戦国武将としてのキャリアがスタートするのです。

 謙信は宿命のライバル・武田信玄をはじめ、相模(現在の神奈川県)の北条氏康や織田信長といった多くの有力な戦国武将と合戦を繰り広げます。しかし、その戦いは決して領地拡大といった我欲によるものではなく、義を重んじたものでした。

 それを象徴するのが、信玄と繰り広げた川中島の戦いです。1553年から5回に及んだ熾烈な戦闘ですが、これは信玄に領地を奪われ、助けを求めてきた村上義清や高梨政頼ら信濃豪族を支援するために出陣したものでした。

 謙信が義を重んじたことを表す非常に有名なエピソードが、「敵に塩を送る」というフレーズです。1567年、信玄は駿河(現在の静岡県)の今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を狙いました。それに対して今川氏真は北条氏康の協力を得て、武田領内への「塩留め」を行います。信玄の領地は海に面していないため塩の生産ができず、領民は苦しみました。こうした武田領民の苦境に対して、敵対していたはずの謙信が塩を送ったという逸話です。

 謙信の行動は、少年時代に培われた信仰心が大きく影響しているともいわれています。謙信は毘沙門天を厚く信仰し、自らをその生まれ変わりと称していました。謙信が旗印とした「毘」の文字はその毘沙門天からとったものです。

 また謙信は軍事だけでなく、内政にも優れていました。衣類の原料となる植物である“青苧(あおそざ)”の栽培を奨励し、日本海を通じて全国へ流通させて、国の財政を豊かにしていたといわれています。このほか、謙信は戦国武将としては珍しく、49歳で亡くなるまで生涯独身を通しています。

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