戦国武将に学ぶ経営のヒント(第10回)

真田丸を攻撃した“築城に秀でた”武将の存在感

2016.03.08

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 藤堂高虎(1556~1630年)という戦国武将がいます。最近、NHK大河ドラマ「真田丸」が話題になっていますが、その真田丸を大坂冬の陣の際に、徳川側として前田利常、井伊直孝、松平忠直らとともに攻撃した武将として知られています。

 高虎は、主君を何度も変えたことから変節漢などとも呼ばれ、小説などでは悪役として描かれることも多い武将です。豊臣家への忠義を貫き、華々しく散り、「真田丸」の主人公として描かれる真田信繁(幸村)と比べると人気、知名度は雲泥の差があります。しかし、その生涯を見ると、文武両道の傑出した才能を持った人物だったことが分かります。

 戦国の世ですから、当然「武」に優れていることが出世の条件です。一説には身長190cmを超えたと伝えられる偉丈夫の高虎は、戦場でも抜群の武勲を挙げます。高虎のユニークな点は、天下人(豊臣秀吉、徳川家康)に認められていた「文」の才能です。「文」といっても、書や和歌、茶道などではありません。築城術です。熊本城などを築いた加藤清正(1562~1611年)と並んで城づくりの名手と称され、その生涯で18の築城に関わったといわれています。

 戦国時代、城は武将たちにとって戦いの基地でした。敵から攻められても落ちない強固な城を築くことは、生き残るための必要条件です。同時に城は領国支配の中心的役割を果たし、権力の象徴でもありました。織田信長は「楽市楽座」など、新たな流通経済の中核として安土城を建造し、豊臣秀吉は権勢を示すため豪華絢爛(けんらん)な大坂城を建てました。戦国武将にとって城は単なる建物以上の意味を持つ存在だったのです。

 築城術が評価され、戦国の世で天下人に認められた高虎は、現代ビジネスでいえば、企業になくてはならない最先端技術を持ったハイテク企業といったところでしょうか。では、まずその高虎の生涯を振り返ることにしましょう。

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