戦国武将に学ぶ経営のヒント(第36回)現場の声に耳を傾け、四国を統一した長宗我部元親

歴史・名言

公開日:2018.05.15

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 戦国時代、土佐から版図(はんと/領土のこと)を広げていき、四国の大部分を制圧したのが長宗我部元親です。近年、コミックの主人公になったり、ゲームのキャラクターとして人気を集めたりして、一気に知名度を上げた武将です。有力大名の出ではなく、兵力に恵まれていたわけではありませんでしたが、「ある工夫」によって軍を強くしていきます。

 元親は1539年、長宗我部国親の嫡男として生まれました。長宗我部家は、土佐(現在の高知県)の豪族。一条家、本山家などの諸豪族が覇権を争っていた土佐において、国親も領地を広げるために参戦しました。

 1560年から、国親は本山家との戦いに入ります。この戦乱の1つ長浜の戦いにて、元親は初陣を飾りました。元親は幼少の頃から性格がおとなしく、また容姿も色白で「姫若子」と呼ばれ、周囲からは頼りなく映っていたといわれています。初陣に臨むときにも元親はやりの使い方を知らず、家臣に「敵の眼を突け」と教わって戦場に赴くほどでした。

 しかし、元親はもともと武将としての資質を持っていたのでしょう。この戦いで元親は「武士なら命を惜しまず、名を惜しめ。一歩も引くな!」と叫びながら勇猛果敢に敵陣に進み、敵兵を倒し、周囲の評価を一変させます。そして間もなく国親が病死したため、元親が家督を継ぐことになりました。

四国を制するも、天下人、秀吉に下る

 姫若子から若き勇将へと変貌を遂げた元親は本山家との戦いを継続。支城を次々に攻め落としますが、なかなか決着がつかず8年かけてようやく本山家を降伏させることに成功します。

 勢いを駆って元親は安芸家を倒し、一条家との戦いに入りました。土佐の有力豪族であった一条家との決着にも、6年の歳月を費やしましたが、1575年、四万十川の戦いに勝利してついに土佐を制圧しました。

 土佐全体を手に入れて勢力を増した元親は、四国統一を進めていきます。讃岐の十河家、阿波の三好家、伊予でも諸勢力を排します。この結果、四国の大部分を手中に収めることができました。

 ここで立ちはだかったのが豊臣秀吉でした。四国で勢力を伸ばしていた元親に対して、織田信長の時代も圧迫があったのですが、その死去により危機を脱するという幸運がありました。しかし、四国をほぼ制圧して一大勢力になった元親を、天下統一をもくろむ秀吉が潰しにかかってきたのです。

 元親も抵抗を試みますが、秀吉勢に追い詰められていき、ついに降伏。土佐以外の所領を没収されてしまいます。しかし、その後、秀吉の臣下となり九州征伐、小田原征伐など天下統一を進める重要な戦いに参戦した後、1599年に病でこの世を去りました。

現場スタッフの声を重視した元親の姿勢…

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