戦国武将に学ぶ経営のヒント(第42回)

今川義元、北条氏康から学ぶ社内業務の大切さ

2018.11.13

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 営業やマーケティングなど外向きの業務は得意でも、経理や財務といった社内の業務は苦手という経営者がいます。それによって会社が傾くケースも考えられます。戦国武将も同じことです。いくら勇猛で知略に長け、戦に強かったとしても、それだけでは長続きしません。

 求められるのは領地経営の手腕。戦に勝って版図(はんと)を広げるだけでは意味がありません。広げた版図を含めてしっかりとした領国経営を行い、経済力を高め、それを軍の強さにつなげる。この好循環をつくることが強い戦国武将の条件です。

 優れた領国経営で知られる武将に今川義元がいます。今川氏の領国は、現在の静岡県にあたる駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、そして愛知県東部の三河の三国。現在でも生産は行われているものの、静岡や愛知が米所としては知られていないように、当時も石高は高くなく、三国合わせても100万石に届いていませんでした。

 米で国を豊かにすることは難しい――。そこで義元が目を付けたのが、商業の活性化でした。駿河、遠江、三河には東海道が走っており、東西を結びつける要所にあります。義元は宿場ごとに人馬を交替して運ぶ伝馬制によって物流をスムーズにし、商品の往来を促しました。

 商品が動く所には、自然と商人や職人が集まってきます。義元は今川氏の御用商人である友野二郎兵衛尉を商人頭に任命し、集まってきた商人の取りまとめをさせます。

 そして商売を盛んにするため、義元は商人に自由と特権を認めました。1542年には駿河の江尻において、毎月3度開催される市の場所代、宿の経営に対する税などを免除するとの令を出しています。

 これは市場税を廃止し、新規の商人の営業も認めて城下町を繁栄させた、後の楽市楽座に似ていますが、信長が安土城下への楽市楽座令を出したのは1577年のことです。それに先んじた義元は、商品流通経済の重要性をいち早く認識していた武将といってもいいでしょう。

 駿河には安倍金山、井川金山、富士金山といった金山がありました。当初、こうした金山からは砂金を採っていましたが、灰吹き法という精錬法が伝わり、金鉱石から金を採取することができるようになります。金山からの収入と商業の活性化により、義元は領国を発展させていきました。そしてそれが軍の強さに反映して、東海道一の武将と評価されるようになりました。

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