戦国武将に学ぶ経営のヒント(第43回)

長生きが勝ち組の条件、戦国武将の健康法

2018.12.11

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 戦国の世の室町時代、日本人の平均寿命は30歳代だったともいわれています。そんな中、60歳、70歳まで生きた戦国武将も少なくありませんでした。

 一家の主(あるじ)が若いうちに急逝すると、家の存続に関わる事態になりかねません。後継者も幼いので、近隣から攻められる恐れが増すだけでなく、後継者争いの“お家騒動”が起こりえます。

 また、天下統一はともかく、隣国を攻め落とすのにも相応の時間がかかります。いくら有能な武将でも早世してしまえば、成し遂げられることは限られます。ですから大きな足跡を残した戦国武将は当時の水準からすると、長命を実現したケースが少なくありません。

 その代表が、戦国武将の中でも健康オタクとして知られる、徳川家康です。74歳(満年齢、以下同じ)まで大きな病に倒れることなく生き抜きました。

 家康が人一倍気を使ったのが食事の内容。ぜいたくは月に2、3回で十分と、普段の食事は麦飯と豆味噌の一汁一菜を基本としていました。家康の身分からするとかなりの粗食ですが、麦飯は栄養価が高く、豆味噌は消化吸収を促して体内の老化を防ぐなど、実は健康面で優れたメニューなのです。

 また、体に悪いからと、季節外れのものや冷たいものを口にしませんでした。あるとき織田信長から桃が贈られましたが「季節外れだから」と食べなかったというエピソードがあるほどです。

 家康は、薬の研究家としての側面も持っていました。中国から薬学書の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』や『和剤局方(わざいきょくほう)』を取り寄せて読み込み、薬草園を開設。100種類を超える薬草を栽培し、自ら調薬を行うほど力を入れていました。

 そして風邪薬の「紫雪(しせつ)」や滋養強壮に効く「八味丸(はちみがん)」などを専用の薬箱に入れ、常備薬にしていました。静岡県にある家康ゆかりの神社・久能山東照宮には、家康が薬の処方に使ったつぼが残されています。

 体を動かすのが健康の基本なのは、今も昔も同じです。そのために家康が好んだのは鷹狩りです。「これは単なる娯楽ではない。郊外に出掛けるから、民衆の生活ぶりを見ることができる。また骨や筋肉、手足が機敏になり、朝早起きして走り回るから疲れで夜もよく眠れる」といって、生涯、鷹狩りを楽しみました。

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