戦国武将に学ぶ経営のヒント(第48回)

元就と謙信に学ぶ、天下を望まない生き方

2019.05.14

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 戦国の有力武将といえば、戦や政治的駆け引きによって領土を拡大し、さらには天下も狙うといったイメージがあります。しかし、中には力を持ちながらも、天下を取ることには執着しなかった有力武将もいます。その代表が毛利元就と上杉謙信です。

 毛利元就は1497年、安芸(現・広島県西部)の国人領主(こくじんりょうしゅ)である毛利弘元の次男として生まれました。1516年、安芸武田家の当主である武田元繁との戦いで初陣を飾った元就は、続く武田家との戦いの中で武田家重鎮の熊谷元直、元繁を次々と討ち、名前を高めました。

 そして1523年、27歳で家督を継ぐと、持ち前の知略で勢力を広げて行きます。1529年には、安芸石見国の領主連合を率いていた石見高橋家一族を下し、安芸から石見(現・島根県、広島県北部)にかけての領土を手中にします。

 続いて周防(現・山口県東部)、長門(現・山口県北部)の領主である大内家の家臣・陶晴賢(すえはるたか)を厳島の戦いで破ると、大内家当主の大内義長、そして長年のライバルである尼子家を討ち、中国地方のほぼ全域を支配しました。

 その頃、織田信長が有していたのは尾張の1国のみ。元就は中国地方10カ国を手中に収めており、当時、国内最大の領土を持つ戦国大名でした。元就は知略・謀略に優れており、天下統一を狙う力もありました。しかし元就は「天下を望まず」と言い、それ以上領土を広げようとはしませんでした。

 安芸の地方領主にすぎなかった毛利氏を、中国地方を制圧する大名にのし上げた元就は、希代の戦略家と恐れられ、その実力が高く評価されていました。しかし、元就自身はそのようには考えていませんでした。自分が尼子家を倒して中国地方を制圧できたのは時の運によるもので、今日の隆盛を見るに至ったのは不思議なことであり、それ以上を望むべきではないと述べたといわれています。

「天下取り」より「家の存続」を優先… 続きを読む

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