トップインタビュー(第14回)

人を喜ばせれば自分に返る

2016.05.11

クリップについて

イズミ会長 山西義政氏

 大型ショッピングセンター「ゆめタウン」を展開するなど一大流通チェーンとして存在感を示す。時代や環境の変化を見極め、お客の要望に応えながら中国、四国、九州で地域一番店をつくり上げた。国内市場は逆風も吹くが、山西義政会長は「この商売はまだ深掘りできる」と2020年に売上高1兆円達成をめざす。

──山西会長は中国、四国、九州でショッピングセンター「ゆめタウン」など102店舗を展開する一大流通チェーンを築き上げました。どんな経営方針で事業を営んできましたか。

山西:お客様に一番愛される「地域一番店」をめざし、一番いい場所に一番大きい店をつくることに力を注いできました。代表例が広島市に開いた1号店の八丁堀店。当初は2階建てでしたが5回増築し、最終的には地下1階、地上7階の大型店に進化させました。普通は1号店が成功したらチェーン化に走るところですが、お客様の要望に応え、建物を大きくすることで地域一番店に挑んだのです。現在、年間100億円以上稼ぐ店が15~16店舗あります。昔はうちが大手企業に勉強に行かせてもらっていましたが、今は逆に、大手の方が店の見学に来られます。

撤退する勇気を持つ

──当初は繁華街で商売し、やがて駅前、さらには郊外へと出店するようになり、形態もスーパーマーケットからGMS(総合スーパーマーケット)へと転換していきました。時代の変化をどのようにとらえて変革してきたのですか。

山西:オープン当初は地域一番店だった店でも、後から他の大型店が出店すれば2番店、3番店になります。商売の基本は一番いい場所に出すことですが、そのいい場所は時代とともに変わっていきます。当社はそういう時代の変化、環境の変化に合わなくなった店をどんどん閉鎖・売却しました。これまでに30店舗は廃店したでしょう。そして、その時々にお客様が集まる店舗を新たに出店してきました。

 イズミの店舗の平均年齢を出したら、GMSの中では一番若いと思いますよ。人間と同じで、稼いでくれるのは働き盛りの店(笑)。

──設立2年目の1963年、大阪に大型スーパーを開店しますが、わずか半年で撤退していますね。

山西:今思えば、大阪出店は無謀でした。衣料卸からスーパー事業に乗り出したばかりで、まだ広島市内に2店舗しかないときに3店目を大阪に出してしまった。出してみて、戦線を拡張し過ぎたと気づき、撤退を決めました。

 店を閉めるときには、地元で採用した人には辞めてもらうなど不名誉な後始末をたくさんしなくてはなりません。「ようやらん」という人も多いけれど、大事なのはそれをぱっとやることですよ。出て行く勇気以上に撤退する勇気を持つことです。

 大阪での経験から、私はとにかく目の前の地域を一つひとつ固めることに専念するようになりました。広島を中心に瀬戸内海地域で一番をめざし、それができたら中国地方の一番をめざし、九州へ進出し……。こうして一歩一歩進んで今に至りました。

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山西 義政(やまにし・よしまさ)

山西 義政(やまにし・よしまさ)

1922年広島県生まれ。20歳で海軍に入隊し潜水艦「伊400型」の機関兵として乗艦。戦後、広島駅前のヤミ市で商売の道に進む。50年衣料品卸山西商店を設立。61年いづみ(現イズミ)を創業し代表取締役社長に就任。93年代表取締役会長、2002年から取締役会長。西日本各地に「ゆめタウン」などを展開。一大流通チェーンを築く。

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