プロ野球に学ぶ、ミスターと呼ばれし者の流儀(第10回)

なぜ桧山進次郎は「代打の神様」と呼ばれたのか

2017.02.22

クリップについて

 野球界には「代打の神様」という言葉がある。先発メンバーからは外れているものの、ここぞというときにピンポイントで起用され、その期待に応えるバッターのことである。

 ファンから「代打の神様」と呼ばれる選手が、阪神タイガースにも何人かいる。例えば、代打起用で球団歴代2位の98打点を記録した八木裕氏もその1人だが、同じく代打起用で球団歴代1位の99打点を記録した桧山進次郎氏もまた、代打の神様の称号を受けた1人である。

 桧山氏はもともと、若手時代に「ミスタータイガース」候補の1人に浮上するほどの有望な選手だった。その後、結果を出せない日々が続き、引退も考えたこともあったというが、腐ることなく努力を続けた結果、最後は代打の神様として、22年もの長きに渡ってチームに貢献し、ファンに愛され続けることになる。

 その時々の苦しい環境からの脱出を手助けしてくれたもの――それは「発想の転換」だった。

「ミスタータイガース候補」の栄光と転落

 桧山氏は、1992年にドラフト4位で東洋大学から阪神タイガースに入団。即戦力としての活躍を期待されたが、3年もの間、下積み時代が続いた。転機は1995年のオールスター明けの初戦。4番で出場予定の石嶺和彦選手が体調を崩し、思わぬ形で4番の大役が回ってきた。

 4番に求められるものはホームランだ。降って湧いた4番の大抜てきを契機に、桧山氏の打撃は本塁打狙いのフルスイングへと変化。1996、1997年には、2年連続で20本以上の本塁打を記録した。

 甲子園は、グラウンドが広い上に、桧山氏のような左打者にとって不利な浜風が吹く。ライトスタンドからレフトスタンドに向かって風が吹くため、打球が伸びずに押し戻されるのだ。そのため、阪神の左打者で2年連続20本以上のホームランを放ったのは、桧山氏以前に掛布雅之氏ただ1人。桧山氏は、掛布氏に継ぐこの偉業を成し遂げ、一躍スターダムにのし上がった。

 しかし、本塁打と引き換えに三振は増え、打率は低迷した。1999年に野村克也監督が就任すると、その年の成績は95試合323打席8本塁打、翌2000年は87試合186打席4本塁打と、ホームランどころか、出場の機会すら減り始めてしまった。

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執筆=峯 英一郎

執筆=峯 英一郎studio woofoo

ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。

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