プロ野球に学ぶ、ミスターと呼ばれし者の流儀(第12回)

「遠山・葛西スペシャル」に見る人手不足の解消法

2017.04.26

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 人手が足りない、業務を任せられる人間がいない――。こんな悩みを抱えている経営者やマネージャーも多くいることだろう。人手不足は、どの組織も頭を抱える問題だ。

 プロ野球の世界も同様である。100試合以上の長丁場を戦う中では、中心選手がケガをして出場できなくなり、チームが良い成績が残せなくなる時期は必ず訪れる。そこでどのような方針を打ち出すのかが、監督の腕の見せどころでもある。

 例えば、野村克也氏が監督を務めていた1999年~2001年の阪神タイガースは、人手不足が深刻だった。3年間の成績はすべて6位(つまり最下位)。打者では新庄剛志選手や今岡誠選手に桧山進次郎選手、投手では藪恵壹選手や星野伸之選手、井川慶選手らが所属していたものの、順位を上げるほどの結果には結びつかなかった。

 そんな中で野村監督は、球界を騒然とさせる采配を打ち出す。遠山奬志選手、葛西稔選手という2人のリリーフ投手をフィールドに置いた「遠山・葛西スペシャル」だ。

セリーグが誇る左打ちの強打者をどう打ち取るのか

 当時の野村監督は、投手陣のやりくりに困っていた。特に「サウスポー(左投げ)」のリリーフ投手の不足である。

 野球界では一般的に、左打者には左投手を、右打者には右投手をぶつけるのがよいとされている。例えばノーアウト満塁で強力な左打者を迎えた場合には、右投手に代えて左投手をワンポイントで投入する、というのが野球界のセオリーである。

 当時のセリーグは、強力な「左打者」がそろっていた。読売ジャイアンツには後に大リーグに挑戦する松井秀喜選手や現監督の高橋由伸選手、ヤクルトスワローズには本塁打王2回のペタジーニ選手、横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)には2度の首位打者に輝いた鈴木尚典選手、広島東洋カープには金本知憲選手……。ピンチでこうした強打者を迎えたいときには、左投手にすべてを任せ難を逃れたいところではある。

 しかし、1999年当時の阪神には、左投げのリリーフ投手が少なく、ベテランの遠山選手ら数名がいる程度。85年の優勝以来低迷を続ける阪神に、良い選手はなかなか来なかった。

 遠山選手は、当時あまり頼りになるとはいえない存在の選手だった。1986年に阪神に投手として入団したものの、大きな結果は残せず1990年にトレードでロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)へ移籍。1995年に打者へ転向しても結果は出ず、自由契約となった1997年オフに、再び投手として阪神にテスト入団した苦労人である。

 そんな苦境にて、野村監督はこの苦労人を生かす策を考えつく。右投手の葛西稔選手とのスイッチ策である。

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山田 雄一朗(やまだ・ゆういちろう)

山田 雄一朗(やまだ・ゆういちろう)

筑波大学大学院で経営工学の修士号を取得した後、IT企業で営業として5年の職歴を経験。リサーチ力を強みとしたライターとして活動中。

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