プロ野球に学ぶ、ミスターと呼ばれし者の流儀(第13回)

和田豊に学ぶ、素質に恵まれなくても成果を出す方法

2017.05.22

クリップについて

 阪神タイガースに選手として長く所属してきた選手はこれまでにも紹介したが、選手だけでなくコーチ、監督として連続して所属し続けた人物といえば、今回紹介する和田豊氏が一番だろう。

 和田氏の現役時代は、決して強打者というわけではなかったが、長らく1番打者を務め、1997年には開幕24試合連続安打という日本記録を樹立するなど、地味だがチームに欠かせない存在であった。そして現役を退いた後も、コーチ、監督と、タイガース史上最長となる30年間以上も連続して現場で活躍し続けた。そして現在も「オーナー付シニアアドバイザー」という役職で、チームに関わり続けている。

 和田氏は同一チームで、しかも立場を変えながら長く在籍し続けた理由について「素質に恵まれていないことを早く気付いたから」と話している。なぜ素質に恵まれないことが、長年チームに関わる秘訣になったのだろうか?

素質で足りない点は先輩から学ぶ

 日本大学でも野球部で活躍し、ロサンゼルスオリンピックでは金メダルに輝いた和田氏は、1984年オフにドラフト3位で、タイガースに内野手として入団。だが、1985年シーズンは阪神が18年ぶりに優勝した年。選手層は厚かった。

 和田のポジションは主に遊撃手、二塁手だが、当時の遊撃手には名手・平田勝男氏、二塁手は強打者の岡田彰布氏が務めていた。キャンプでチームに合流した和田氏は、レギュラー陣とのレベル差にがくぜんとし「この差は、努力と研究で補うしかない」と練習に打ち込んだ。

 その努力が報われたのか、1年目は控えながらも1軍に昇格。レギュラー陣がケガで欠場した際にはスタメンで出場し、シーズン終了時の打率は2割8分6厘と、新人としては上々の働きを見せた。

 当時の1軍には、和田氏のお手本となる選手がいた。163cmとプロとしては小柄ながら、プロ入りから16年間、ほぼ1軍で活躍し続けた弘田澄男氏である。弘田氏は小柄故にパワーはなかったが、走塁と守備は名人級だった。そして、ロッテ時代から相手投手の特徴やクセをノートに書き記し、そのデータをバッティングに生かしていた。

 和田氏は174cmと弘田氏よりも背が高かったが、彼を見習い「和田ノート」を付けることにした。ベンチから目を凝らしてピッチャーを観察し、ユニホームのポケットに忍ばせたノートに、投手のクセ、配球、調子のいいときと悪いときのパターンなど、気が付いたことを片っ端から書き留めていった。地味な男に学んだ地味な努力が、打者としての和田氏の成長を促すことになる。

シーズン1~2本の本塁打より、毎試合のシングルヒット… 続きを読む

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執筆=峯 英一郎

執筆=峯 英一郎studio woofoo

ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。

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