偉大な先人に学ぶ日本ビジネス道(第9回)

「働き方改革」を先導した鐘紡、武藤山治

2017.02.17

クリップについて

 「働き方改革」を安倍内閣が強力に推進しています。ワーク・ライフ・バランス、心身の健康上の観点などから長時間労働、サービス残業が日本企業の是正すべき課題としてクローズアップされ、経営側にも真摯な対応が求められています。労働環境の改善は日本全体の大きなテーマとなっています。

 今から1世紀ほど前、労働環境の改善を敢然と推し進め、多くの社員から敬愛された企業人がいました。「日本的経営の祖」といわれる武藤山治(むとう さんじ、1867~1934)です。

 山治は1867年に尾張国(現・愛知県)で生まれました。1881年、14歳の時に「演説を会得したい」との思いから慶應義塾に入学。福沢諭吉に薫陶を受けます。1885年に慶應義塾を卒業すると、同級生2人と渡米しました。

 タバコ製造所の見習いなど職を転々としたのち、サンフランシスコ郊外のパシフィック大学に職を得て、食堂の給仕をしながら勉学に励みました。自由と平等を重視する米国での経験は、その後の山治に大きな影響を与えました。ちなみに、パシフィック大学の図書館には山治が学んだことを記念した「ムトウルーム」が設けられています。

マスコミから三井グループに転身、系列の鐘紡へ

 2年の苦学の後に帰国すると、山治は銀座で新聞広告取扱所を開設。これは、日本における広告取次業の先駆となるものでした。また雑誌『博聞雑誌』を創刊するなど、山治はなかなかのアイデアマンでした。そして英字新聞社、商社などを経て1893年、三井銀行に入社。ここで、企業の改革に触れることになります。

 当時、三井銀行の経営を任されていたのは、福沢諭吉のおいに当たる中上川(なかみがわ)彦次郎。経営不振に陥っていた三井銀行を立て直すため、彦次郎は不透明な関係にあった明治政府との癒着を断ち切ります。要人相手でも容赦しません。桂太郎の邸宅を差し押さえ、時の総理大臣である伊藤博文からの借金の依頼も拒絶するほどでした。また不良債権の整理を断固として推し進め、三井銀行の再建に成功します。彦次郎の下で一連の改革の一翼を担った1人が山治でした。

 三井銀行での仕事っぷりが評価され、27歳の山治は三井系列にあった鐘淵紡績(後のカネボウ、現・トリニティ・インベストメント)の兵庫分工場支配人に抜てき。今度は、自らが先頭に立って改革を進めていきます。

 経営の厳しかった鐘淵紡績で山治がまず重視したのがPRでした。当時、紡績業界では珍しかった新聞広告を大々的に展開。また製品を入れた見本箱を全国の問屋に送り、自社製品の品質をアピールします。そして、従業員の労働環境の改善に着手します。

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