経営者の迷いを断ち切る“撤退の決断”(第2回)

海外で成功も国内が荒廃、第三者の助言で立て直す

2017.03.31

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 「撤退の決断」の第2回は、実際に撤退を決断した経営者の葛藤を紹介する。自らの夢を実現し海外展開に成功するも、その裏で肝心の国内事業に異変が――。そんな窮地に経営者はどう行動したのか、その決断の裏にはどんな考えがあったのか。

凪スピリッツの生田社長。ラーメンチェーンの一蘭(福岡市)勤務などを経て、2006年、東京・渋谷に「ラーメン凪」を開業し、会社を設立した(写真/的野弘路)

凪スピリッツの生田社長。ラーメンチェーンの一蘭(福岡市)勤務などを経て、2006年、東京・渋谷に「ラーメン凪」を開業し、会社を設立した(写真/的野弘路)

 「もうかっていただけに、撤退を決断するまでには葛藤した」

 こう打ち明けるのは、ラーメン店を展開する凪(なぎ)スピリッツ(東京・新宿)の生田智志社長だ。2006年に起業。その4年後、香港への出店を機に海外展開を始めた。現在、国内に8店、海外に14店を展開する。ただ、海外では過去に2回、大きな撤退と事業縮小を経験している。

香港でいきなり大ヒット

 香港出店を決めたのは、2009年。当時都内で5店舖を展開し、ラーメン通の間では評価が高かった。それに目を付けた香港の個人投資家が、合弁での出店を持ちかけてきた。起業前から「いつかは海外で事業をしたい」と夢見ていた生田社長は、この話にすぐ乗った。

 早速、社員1人を連れて香港に駐在。1年近くかけて準備した1号店は日本食ブームに乗って、すぐ大繁盛した。2012年には3店で約5億円を売り上げるまで成長した。

 だが、その間に合弁相手への不信感が募っていった。待ち合わせに1時間遅れても平気な顔。そのうえ「利益率を上げるために、食材の質を落とせ」といった要求をしてきた。味にこだわる生田社長には到底、受け入れがたかった。とはいえ事業は好調。撤退する気にはなれなかった。

 そんな生田社長を変えたのは、ある企業との出合いだった。台湾の中堅ファミリー企業が合弁事業を持ちかけてきた。台北での出店に向けて交渉を始めると、生田社長は香港の投資家との違いに驚いた。時間を守るのはもちろん、経営姿勢に感銘を受けた。例えば、食材の配送方法を考えるとき、最初にコストの話をしない。おいしさを保つには、どの方法がベストかを議論した後、コストを検討する。「経営者として学びたいところが多くある企業だった」。

 海外の合弁相手はピンからキリまである。その事実を身をもって知り、覚悟が決まった。2013年、香港の現地法人の株をすべて合弁相手に売却。店舗運営からも手を引き、香港から完全に撤退した。

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