あの人を育てた街(第1回)

大阪編 すっちー「芸は客がつくる」

2017.03.27

クリップについて

 座長として、吉本新喜劇のお笑いを引っ張るすっちーさん。すっちーさん演じる「すち子」と吉田裕さんとの「乳首ドリル」のギャグがテレビで人気を博し、一躍全国区の人気芸人となった。現在、最も注目される芸人の1人であるすっちーさんに、これまでの芸人生活での決断や、新喜劇の人気の秘密、大阪の魅力について聞いた。

―すっちーさんは、ビジネスパーソン向け媒体のインタビュー経験はありますか。

 あれっ!? もしかしたら初めてかもしれません。

―今日は、大阪の話とともに、ビジネスパーソンの生き方にも参考になる話も伺えれば。

 そりゃできるかどうか、自信ないなあ。(笑)

―吉本興業に入って21年、吉本新喜劇の座長に就いて3年がたとうとしています。

 ありがとうございます。おかげさまです。振り返ってみると、よう節目節目で決断してきたなあと思います。

今で満足したら、来年はない

―すっちーさんにとって、決断を迫られた節目は何回ありましたか。

 自動車整備士をやっていた20歳ごろ、将来に悶々(もんもん)としていましてね。それで24歳の時に、幼なじみをお笑いの世界に誘ってコンビを組みました。当時、24歳でお笑いの世界に入るのは遅いほうでした。これが1回目。

 周りが売れていく中で、11年間漫才で頑張ってきましたが、35歳でコンビを解散します。漫才で培ってきた芸を喜劇で生かせるんとちゃうかなと、新喜劇に入団します。あまりケースのない、中途入団です。まあ、小籔さん(小籔千豊新喜劇座長)などの先輩から後押しされたのもありましたけど。これが2回目です。今思えば、節目節目で動いとってよかったです。もし動いていなかったらと思うと、ぞっとしますね。

―安定は求めなかった?

 芸人ですからね。コンビを組んでいた時も、そこそこは食えていました。でも「今攻めなあかん。今に満足したら来年はないぞ」という思いは強かった。コンビを解散したのは、ちょうど結婚して子どもが生まれた時でした。先日出演したテレビ番組で、一流企業を脱サラした人を特集していて、共演者は「辞めるのか! もったいな!」とか言っていたけど、僕は「芸人じゃなくてもそうした決断するんやなあ」と共感しましたね。

 コンビを解散した時、かみさんに「しばらくアルバイトをせなあかんかもしれんけど、ええか?」と言ったら、「ずっとやないやろ」と一言。かみさんには感謝してます。

―座長に就任した時の決断も大きかったのではないですか。

 新喜劇に入団してからはずっと「座長になりたい」と言っていましたよ。でも、これは僕の決断じゃない。会社に呼ばれて「今度から座長に就いてください」と言われて、ちょっと待てと。事の重大さは分かっていましたから。座長になったら、難波かいわいに、「すっちー、新座長!」なんてのぼりがそこかしこに立つんですわ。それを見て、ホンマ、怖なりましたよ。だって、お笑いのグランプリで優勝しても難波にのぼりは立たないでしょう。新喜劇は大阪に育てられている。そして大阪の人に愛されているんやと、大阪での存在の大きさを実感させられました。それを背負っていかなあかんのやと。

新喜劇は“幕の内弁当”… 続きを読む

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執筆=小坂 義生

執筆=小坂 義生

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