アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡(第27回)

体操の「白い妖精」ナディア・コマネチのそれから

2020.09.17

クリップについて

 1976年に開催されたモントリオールオリンピック(カナダ)の女子体操競技では、旧ソビエト連邦がオリンピック7連覇を達成し、団体金メダルを獲得した。

 ただ、世界中の多くの人々に鮮烈な印象を残したのは、大会前にはさほど注目されていなかったルーマニアの選手たちだろう。髪をポニーテールにまとめ、ぴったりとした白いレオタードに身を包んだ小柄なルーマニアの選手たちはあどけない少女のように見えたものだった。

 中でも、1人の少女に目を引かれた。当時14歳のナディア・コマネチ選手である。段違い平行棒の規定演技を始めようとしていした彼女の表情に緊張している様子は見受けられない。神に祈ることもなく、母国で見守る家族に思いをはせることもなく、ただ自分が今からすべきことをするというクールな意思が感じられた。彼女は著書で述べている。

「体操では、晴天の霹靂というものはない。バーや跳馬から飛び出したとき、魔法がはたらいて支えてくれるはずもない。人生にもあてはまるが、誰でも「できること」はある。自分ができる技をバッグに入れておき、必要なときそれを引き出していく」
(『コマネチ 若きアスリートへの手紙』ナディア・コマネチ著/鈴木淑美訳)

オリンピック史上初の10点満点

 その言葉どおり、ナディアは練習で繰り返したように、1つひとつの技を求められる通りに決めていき、着地した。得点がスコアボードに表示された。

 1.00

 その数字の意味が誰一人分からず、会場は静まり返った。ルーマニア体操チームのコーチであるベラ・カロリー氏が気色ばんで審判に尋ねた。スウェーデンの審判が指を10本示して応えた。

 10点満点!

 当時、10点の表示は想定されておらず、スコアボードに10.00が表示されるようにはプログラムされていなかったのだ。

 オリンピック史上初めて10点満点を獲得したこと知った瞬間をナディアもよく覚えている。

 「私はめったに感情を出さないのだが、そのときはさすがににっこり笑った」

 その後、ナディアはさらに6つの10点満点を出し、個人総合を含む金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得。その活躍によってルーマニアは団体銀メダルに輝いた。

1984年に引退。1989年にはアメリカに亡命

 当時の私は、少女たちの演技を見ながら、その完成度の高さゆえに、共産主義国家が国策として少女たちを完璧な体操選手に創り上げようとしているのではないかという印象を抱いた。それは大変失礼な誤解だった。

 ナディアが初めて体操チームに入ったのは幼稚園のときだったという。おてんばな娘に手を焼いたお母さんがエネルギーのはけ口になればいいと練習会場である体育館に連れていった。

「体育館に足を踏み入れたとたん、私は、自分がこの世界にはまっていると感じた。(中略)ゆか、跳馬、平行棒、平均台のそれぞれに秘められた無限の可能性に、すっかり圧倒された」
(『コマネチ 若きアスリートへの手紙』ナディア・コマネチ著/鈴木淑美訳)

 その後、ナディアは実験的な体操スクールの創設に向けて奔走していたベラ氏に見いだされ、同スクールで体操選手としての英才教育を受けることになる。学校の授業が終われば体育館に駆け込み、夜はレオタードを枕に乗せて一緒に眠った。

 4年後のモスクワオリンピックでも金メダル2つを含む、4つのメダルを獲得。デビューから8年後、ナディアはモントリオールオリンピックで名実共に世界トップの体操選手となる。そして1984年、「白い妖精」の名で世界中から愛されたナディア・コマネチは正式に現役を引退し、東西冷戦時代のルーマニアの一市民、すなわち目に見えない壁の向こう側の人となった。

 社会には、ナディアのように若くして成功を収める人がいる。ビジネス社会でも、新卒で入社し、周囲より早く頭角を現し、目覚ましい成果を上げていく社員もいる。ただ、その後も成長が続けば申し分ないが、途中で失速する人も散見される。自分なりに成し遂げたという達成感がモチベーションを低下させるのか、あるいは次の新たなステージを求める気持ちが強くなるのか。

 そうしたケースでは、まだやるべきこと、やれることがあるという周囲のアドバイスも必要ではないだろうか。ナディアの言葉を借りるなら、その人のバッグを開いてあげて、「ほら、君にできる技がこれだけあるじゃないか」と。

 ほかならぬナディア自身がそうしたアドバイスで新たなキャリアを切り開いてきた。1989年、ナディア・コマネチは、祖国ルーマニアに家族を残し、何時間も走り続け、凍(い)てつく川を渡り、ハンガリー、オーストリアを経てアメリカに亡命した。ナディアはアメリカでロサンゼルスオリンピックの男子体操の金メダリストであり、後に生涯の伴侶となるバート・コナー氏と親しくなる。2人は1976年にニューヨークで開催されたアメリカンカップで共に優勝したという共通の思い出があったのだ。

 ある日、コナー氏はナディアに「一緒にエキシビションツアーをしてみたくない?」と提案した。それに対してナディアは「体操選手としてのキャリアは終わったのよ」と答えたという。それでもナディアはもう一度自分のバッグを開き、自分にできることを確かめるために手に取って眺めてみたのだろう。もう一度トレーニングを始めたナディアは、その後、コナー氏が運営する体操アカデミーの運営をはじめ、スポーツや福祉関連の慈善事業、テレビ制作会社など多岐にわたる分野に活躍の場を広げたのだ。

 なんとも見せ場の多い、難易度の高い人生だろう。体操選手として、着地も見事に決めたようだ。現在、体操の世界では採点基準の変更により10点満点はなくなったが、ナディア・コマネチの体操人生には、10点満点が付くのではないか。彼女には、やはり10点満点がよく似合う。

SID : 00137027

執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)

執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)

ライター。

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