「事業承継」社長の英断と引き際(第18回)

事業承継成功のカギは挑戦し続けること(後編)

2020.07.29

クリップについて

金子コード(ケーブル・医療用チューブの製造販売、食品の生産販売)

金子智樹社長

 事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第18回は、前回に引き続き、電話コードなどの各種ケーブルや医療用カテーテルを製造販売する金子コードのケース。電話コードの需要が激減し事業承継どころでなくなった金子コード。後編では、そのピンチをどうやって脱却したのか、そして、無事に承継を果たした金子社長は、その経験をどう生かし、さらに後継者に会社をどう引き継ごうとしているのかを紹介する。

 2003年に予定していた承継を延期し、親子で経営再建に奔走した。従業員のリストラという苦渋の選択をしたものの、それでも状況は厳しいまま。あわや倒産か――。そんな場面で救いの一手となったのが、10年前からじっくり育ててきた医療部門だった。この年、カテーテルの生産販売事業が初めて黒字化しており、その可能性を評価した金融機関から融資が下りたのだ。

 「一般社員として働いていた頃、医療に進出しようとする社長の方針に文句を言う社員の声をよく耳にした。大量のお金と時間をかけて社長の道楽に付き合わされてたまらない、と。しかし、もし、あのとき医療に進出していなければ、今金子コードは存在しなかったかもしれない。この時、経営者として長期的視点を持つことの大切さと、新規事業に取り組むことの必要性が身に染みた」と金子社長は厳しい顔で振り返る。

2代目社長である父・金子正一氏は電話コードの技術を生かしてカテーテルの製造を始めた。軌道に乗るまで10年もの期間を要したが、現在、同社の売り上げの70%以上を支えている

 最悪の時期を脱した2005年、金子社長は38歳で3代目社長に就任した。「社長になるに当たって、父からはいろいろなアドバイスをもらったが、特に印象に残っているのは、人の問題。これから先、誰をサポートに付け社長業をするのかをしっかり考えろと言われ、社長になるまでの期間に人事戦略を考えることができた」と金子社長は語る。

 金子社長は、就任に当たり「大きな方針転換はしない」と決めていた。「社長が代わることで、少なからず社員の中には不安を感じる人もいた。最初の社員たちへのあいさつで、大きな方針転換はしない、と伝えた。なぜなら、就任前から私は常務・専務として先代と一緒に経営に携わっていた。社長になったからと急に変えるのは、それまで自分がやってきたことまでも否定することになるからだ」(金子社長)

 さらに、金子社長は社長を務める期間を3つのステージに区切ることを考えた。

 「仮に、父が承継を予定していた65歳まで社長を続けるとしたら、ちょうど金子コードは100周年を迎える。そうすると、社長を務めるのは27年間となる。ただ、27年は1つのことを取り組むには長過ぎるため、9年で区切り、3つのステージごとに目標を立てて取り組むことにした」という。2012年までの第1ステージで取り組んだのは、人材育成や財務強化など会社の基盤づくり。そして現在は第2ステージで「生み出せ、育てよ、NO.1になれ!」をテーマに新規事業に挑んでいる。

 「電話コードの技術をカテーテルに生かすなど、1から10の事業をつくることはできた。ただ、過去の成功体験を踏襲すると、必ず失敗する。既存事業ももちろん進化させていくが、これからは0から1をつくることも必要な時代。そこで今、NO.1になれる新たな新規事業に挑戦している」(金子社長)

 新規事業を考えるうえで金子社長が求めたことは2つ。1つは、10年くらいじっくり時間をかけて育てることが必要だが、その先の成長が期待できる事業。これは、大企業の社長の任期が平均6年なので、中小企業である金子コードはそれ以上の時間をかけてじっくり取り組むことで、大企業が参入できないような事業をつくることを狙った戦略だ。もう1つは、既存事業の延長線上にないということ。そうでなければ、リスクヘッジになりにくく、視野も広がらないからだ。

承継の主役は受ける側。自分の人生のスケジュールは自分で決めてほしい… 続きを読む

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SID : 00142018

執筆=尾越 まり恵

執筆=尾越 まり恵

同志社大学文学部を卒業後、9年間株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP総研・サステナブル経営ラボ委嘱ライター。

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