日本代表の活躍で盛り上がったロシアサッカーワールドカップ。続いて、来年、再来年には日本でスポーツの世界的なイベントが行われることになっています。2019年はラグビーW杯、そして2020年は東京五輪・パラリンピックです。
これらのイベントには、世界から注目が集まり、日本国民が熱狂することになると思います。戦国時代にも、このように天下の注目を集め、民衆を熱狂させる大きなイベントを開くのが上手な武将がいました。他ならぬ織田信長と豊臣秀吉です。
例えばスポーツイベント。戦国時代にサッカーやラグビーといったスポーツがあったわけはありません。しかし、戦国武将が好んだスポーツがありました。相撲です。東京両国の国技館に、信長が相撲を見物する様子を描いた絵が飾られているのをご存じでしょうか。信長は大の相撲好きで、各地の力自慢を集めて相撲大会をよく開いていました。優秀な成績を収めた力士は、家臣として召し抱えられることがあったといいます。
信長が開いた相撲大会の中でも規模が大きかったとされているのは、1578年8月15日に安土城下で開催したものです。この大会には1500人もの参加者があり、蒲生氏郷や堀秀政など腕力に覚えのある武将も土俵に上がったという記録が残っています。
もちろん、信長のイベントはスポーツに限りません。1569年、信長は室町幕府15代将軍・足利義昭のために城郭(旧二条城)を造りました。細川家にあった天下の名石・藤戸石をこの城郭に運び入れるとき、信長は石を錦で包み、笛や太鼓を鳴らしてパレードしながら運んだといわれています。天下の名石が自らの城にそうやって運ばれたと知ったとき、義昭が相好を崩したであろうことは想像に難くありません。しかし、それ以上に京都の民衆に、信長の権勢を深く刻み込む効果があったと思われます。
そんな信長の生涯一のビッグイベントとなったのは、1581年2月28日に行われた「御馬揃え」です。御馬揃えというのは、今でいう軍事パレードのようなもの。京都の御所の東に設けられた広大な会場に丹羽長秀、柴田勝家など信長臣下の武将が一堂に集まり、騎馬に乗って馬廻や弓衆などを従えて行進しました。
正親町天皇の御前で行われたこの御馬揃えには、大混乱になるほど洛中洛外から市民が駆け付け、各地の武将にまで信長の力を知らしめる結果になりました。信長は、その他にも、安土城の天守閣をちょうちんでライトアップしたり、料金を取って一般公開したりするなど、人々を楽しませるイベントをいくつも仕掛けています。
信長譲りの秀吉のイベント活用術… 続きを読む
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