戦国武将に学ぶ経営のヒント(第59回)

光秀の処世術(3)中途入社したベテラン社員の奮闘

2020.04.07

クリップについて

 明智光秀の生涯をビジネス視点で捉えるこのシリーズ。第3回は、「中途入社したベテラン社員」としての光秀に焦点を当てます。

 光秀は、足利義昭の臣下でありながらも、戦の場では織田信長の下で働いており、二重に仕える状態だったことは第2回で触れました。しかし1573年、義昭が信長に対し兵を挙げると、光秀は信長の直臣として参戦。その理由は、義昭が自分の力を認めてくれず、扱いも低かったからだといわれています。

 これは、室町幕府という200年続く老舗名門企業から、尾張(現・愛知県)を拠点に全国に勢力を伸ばす信長というベンチャー企業に転職したようなものです。

 転職という判断をした光秀にはどのような運命が待っていたでしょうか。信長という新進気鋭の社長の下、光秀は遺憾なく力を発揮し、信長の天下統一に重要な役割を果たします。

 1575年、光秀は信長の高屋城攻めに参戦。さらには長篠の戦い、越前一向一揆全滅戦に加わりました。もともと戦においても才を持っていた光秀は、これらの戦で次々と武功を上げていきます。信長は、こうした光秀の力を高く評価。そして、光秀に丹波の平定を指示します。

 丹波は、現在の京都府の中・北部、兵庫県の中北部、大阪府の一部にまたがる地域。都である京都に隣接するこの地は将軍・足利義昭に味方する領主が割拠していました。

 信長、光秀にとって丹波は、西に勢力を伸ばし、山陰、山陽を支配する毛利氏を攻め落とすために、ぜひとも手に入れなければならない重要な地域です。この丹波の平定という重要ミッションに、信長は光秀を起用しました。

転職先で難プロジェクトを成し遂げる… 続きを読む

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