実例で学ぶ!ドラッカーで苦境を跳ね返せ(第16回)

イノベーション編 社員との対立乗り越え経営改革

2017.01.16

クリップについて

 40年以上減り続けていた路線バスの利用客数を増加に転じさせた北海道の十勝バス。その背後には、野村文吾社長がドラッカーから得た学びがあった。2015年6月に開催した「中小企業経営者のためのドラッカー入門セミナー」での講演を再録する。

ドラッカーに学んだ先輩企業(12) 十勝バス(前編)

●ドラッカーの言葉
イノベーションに成功するには小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。
(『イノベーションと企業家精神』)

 イノベーション――私が初めてドラッカーと出合った時、最も心に響いた言葉です。

 十勝バスは、北海道帯広市を中心に路線バスを運営しています。1926年設立。90年近く地域の交通インフラを支えてきましたが、マイカーの普及や人口の減少で利用客数は69年から毎年数%ずつ減少。2000年代には、ピーク時の2割以下にまで落ち込み、厳しい経営状況が続いていました。

 しかし、11年、まさにイノベーションを起こします。約40年ぶりに利用客数を増やし、運送収入を上昇に転じさせました。地方の路線バス事業者としては快挙でした。

十勝バスの概要
本社 : 北海道帯広市
設立 : 1926年
売上高 : 13億400万円(2015年3月期)
従業員数 : 約270人
事業内容 : 路線バスの運行など

 小銭がこぼれる夢で決意

 札幌で会社員をしていた私が帯広に戻り、父が経営する十勝バスに入社したのは1998年、34歳の時でした。

 その少し前、札幌まで私を尋ねてきた父にこう告げられました。「できる限りの合理化を進めたが、もう次の一手がない。残念だけど会社を潰すしかない」。

 私の返事は「そうか、残念だったね」。それで会話は終わりました。

 私は幼い頃から会社を継ぐように言われたことは一度もありません。父は恐らく、衰退の一途をたどる路線バス業界の未来を憂いて、息子には別の道を歩ませようと思ったのでしょう。だから私にも、家業に愛着がなかったのです。

 しかし、その夜、夢を見ました。バスに乗っているお客様の指先から小銭がぽとりぽとりと運賃箱にこぼれていきます。ああ、あの小銭が積もり積もって、父母の家計を支え、私が大学に進学する原資になった。今の自分があるのは十勝バスのお客様のおかげ……。

 ガバッと飛び起きて、「このまま十勝バスを潰していいのだろうか」と考え込みました。

 十勝バスがなくなれば、困るお客様もいるだろう。父の他に経営を引き継ぐ誰かがいれば、十勝バスは生き残るかもしれない。その「誰か」とは、やはり自分ではないだろうか。そう考え、会社を継ぐことを決意しました。

 ところが、私の申し出に父は猛反対します。「おまえではダメだ」。「なぜだ。どうしたらやらせてもらえるんだ」と食い下がると、父は「全責任を負うならやらせてやる」と言いました。もちろん私は覚悟を決めていました。「当たり前だ。最初からそのつもりだ!」。

 この時はまだ、父の本意を理解していませんでした。

 98年4月1日、入社当日に、父は私を社長室に呼び、実印と金庫の鍵を渡して言いました。「約束だからな。おまえが全部やれ」。

 その瞬間から私が実質的な経営者になりました。どれだけ執拗に尋ねても、父は死ぬまで何一つ仕事について教えてくれませんでした。

 奈落の底に突き落とされたような気持ちになりました。

 全責任を負うといっても、それは事業承継を終えた後。最初は丁稚奉公のつもりで、路線バス会社の仕事を現場で少しずつ学ぼう。そんな腹積もりでいたからです。

 しかもその頃、社員との関係は最悪でした。

コスト削減ですさむ社員… 続きを読む

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SID : 00042016

佐藤等公認会計士事務所所長、公認会計士・税理士、ドラッカー学会理事。1961年函館生まれ。主催するナレッジプラザの研究会としてドラッカーの「読書会」を北海道と東京で開催中。著作に『実践するドラッカー[事業編]』(ダイヤモンド社)をはじめとする実践するドラッカーシリーズがある。

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