実例で学ぶ!ドラッカーで苦境を跳ね返せ(第30回)

販売不要のマーケティング編 女性登用でヒット誕生

2018.05.09

クリップについて

 実例からドラッカーのマネジメントを学ぶ連載。第28回からスタートした米菓メーカーの三州製菓の取り組み、3回目になります。業態転換が見事に成功した同社は、次にヒット商品づくりに取り組み始めた。営業スタッフを減らし、企画スタッフを増員。しかも女性社員を多く登用したという。マーケットインというスタンスから生まれたヒット商品とは?

「実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない」
(『マネジメント[上]』78ページ)

 販売とマーケティングはそもそもスタートラインが異なる。

 販売は企業目線でスタートする。これに対してマーケティングは、顧客目線に立つことから始まる。

 ドラッカー教授はこう説く。「真のマーケティングは、…(中略)…顧客からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を考える。『われわれの製品やサービスにできることはこれである』ではなく、『顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである』という」(『マネジメント』)。

 例えば、商品開発会議で飛び交う意見の主語は何か。「我が社」なのか「顧客」なのか。その違いが思考と行動を大きく変える。

 三州製菓は、マーケティング思考を定着させるため、組織体制を変えた。販売部門を縮小し、企画開発部門を拡大した。

 販売部門が強過ぎる組織では、マーケティングの重要性を訴えても変化が起きにくい。そもそもの立ち位置が真逆だからだ。マーケティングには、現場で顧客の声を拾う活動も欠かせない。会議室で顧客について推測してはならない。現場で主体的に考え行動する社員を育てたことが、三州製菓の改革を後押しした。
(ドラッカー学会理事=佐藤 等)

ドラッカーに学んだ先輩企業(17) 三州製菓 (3)

斉之平社長。中小企業の2代目として、青年期から経営学に深い関心を寄せた

 業態転換が見事に成功。しかし、喜んではいられなかった。

 米菓メーカー、三州製菓(埼玉県春日部市)の斉之平伸一社長は、2代目経営者。1976年、28歳で父が創業した会社に入社した後、その事業構造を大きく変えた。

 もともとはスーパーなどに置く量販品を主力としていたが、大手との競合が激しく、もうからない。そこで約10年をかけて少しずつ、この市場から撤退した。代わりに、和菓子専門店向けのOEM(相手先ブランドでの生産)提供を強化。米菓店「三州総本舗」のFC(フランチャイズチェーン)展開にも乗り出した。この戦略が成功して売り上げが伸び、安定的に利益を出せるようになってきた。

 88年、社長に就任。この頃から、新しい課題に直面した。斉之平社長の事業戦略の肝は、少量多品種生産。OEMの受注先が増えるたび、それぞれに合わせた新商品を作らなくてはならない。店で商品を買う消費者を飽きさせてもいけないので、絶え間ない新商品開発が求められた。

 そこで「会社全体の売り上げに占める新商品の割合を30%以上にする」ことを、KPI(重要業績評価指標)に掲げた。さらに「売り上げに占める割合が2%以下の商品は製造を中止する」というルールを設定した。半期に1度、全商品の売り上げをチェックして、このルールを徹底。商品の新陳代謝を促すようにした。

 しかし、それだけではヒット商品は生まれない。ドラッカーの言葉が脳裏に響いた。「マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングがめざすものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである」(『マネジメント』)。

 かつての三州製菓を振り返れば、まさに販売中心の会社だった。ありふれた商品を作っては問屋に頭を下げて、押し込むように売っていた。しかし、それはマーケティングの理想に反する。「プロダクトアウトではなくマーケットイン。お客さまの声に耳を傾け、お客さまの視点に立つことで、自然に売れていくような商品を作るのが、真のマーケティングなのだ」と、斉之平社長は思い至った。

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連載記事≪実例で学ぶ!ドラッカーで苦境を跳ね返せ≫

佐藤等公認会計士事務所所長、公認会計士・税理士、ドラッカー学会理事。1961年函館生まれ。主催するナレッジプラザの研究会としてドラッカーの「読書会」を北海道と東京で開催中。著作に『実践するドラッカー[事業編]』(ダイヤモンド社)をはじめとする実践するドラッカーシリーズがある。

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