投手における「ミスター・タイガース」といえば、第2回で紹介した村山実氏である。プロ入り14年間で、最多勝2回、最優秀防御率3回、最多奪三振2回、沢村賞3回を達成。1962年、1964年の優勝にも貢献した。
実は、これに近い成績を残した投手が存在する。最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、沢村賞1回を獲得した、江夏豊氏である。しかもこの成績は、プロ入りから阪神タイガースを離れるまでの9年間という、村山氏よりも短い期間での成績である。
実力は文句なしに“ミスター・タイガース級”である江夏氏だが、彼がミスター・タイガースと呼ばれることはあまりない。好成績を残しながら阪神を去った江夏氏は、移籍先でも好成績を残し続けた。南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)、広島東洋カープ、日本ハムファイターズ(現、北海道日本ハムファイターズ)などを渡り歩いた逸材だ。そのうち広島では2度、日ハムで1度の優勝を経験。阪神では手にすることのできなかった優勝の美酒を味わった。その活躍から“優勝請負人”とも呼ばれた。
なぜ江夏氏はミスター・タイガースになれなかったのか。そして、なぜ移籍先で活躍し、“優勝請負人”と呼ばれる存在になったのか。それは「江夏豊」という、強烈な個性の扱い方にあった。
江夏氏がミスター・タイガースになれなかったわけ
冒頭で述べた通り、投手として素晴らしい成績を残している江夏氏だが、その「一匹おおかみ」な性格からか、ファンに好まれなかった。阪神在籍時にノーヒット・ノーランを達成した時に「野球は1人でもできる」という発言を報道されたこと、監督や一部のソリが合わないフロントから「扱いにくい」「チームの統制を乱す」という評価を下されてしまったことから、ファンには「ワガママな選手」と判断されてしまったのかもしれない。
しかし、江夏氏の阪神入団時の監督であった藤本定義氏は、互いに良好な関係を築いていた。1976年、江夏氏が阪神から離れる際、藤本氏はマスコミのインタビューでこう語った。… 続きを読む
執筆=峯 英一郎(studio woofoo)
ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。
関連のある記事
連載記事≪プロ野球に学ぶ、ミスターと呼ばれし者の流儀≫
- 第1回 長嶋茂雄も憧れた初代“ミスター”藤村富美男 2016.05.30
- 第2回 2代目ミスター・村山実に学ぶ“防御は最大の攻撃” 2016.06.27
- 第3回 3代目ミスター・田淵幸一に学ぶ「素直さ」の重要性 2016.07.27
- 第4回 4代目ミスター・掛布雅之を成長させた「役割」の力 2016.08.24
- 第5回 ミスを成功に結び付けた”ムッシュ”吉田義男の失敗学 2016.09.28
- 第6回 江夏豊に見る「扱いに困る人材」のマネジメント術 2016.10.19
- 第7回 なぜ金本知憲は“お金にならない”記録を誇るのか? 2016.11.16
- 第8回 低評価を覆した、赤星憲広の「強みを生かす準備」 2016.12.21
- 第9回 江本孟紀が“辛口”でも解説者として成功した理由 2017.01.25
- 第10回 なぜ桧山進次郎は「代打の神様」と呼ばれたのか 2017.02.22
- 第11回 “天才”今岡誠を生かした監督、生かせなかった監督 2017.03.22
- 第12回 「遠山・葛西スペシャル」に見る人手不足の解消法 2017.04.26
- 第13回 和田豊に学ぶ、素質に恵まれなくても成果を出す方法 2017.05.22
- 第14回 二流打者・川藤幸三が成し遂げた一流の仕事とは? 2017.06.29