ロングセラー商品に学ぶ、ビジネスの勘所(第14回)

わずかな縁(えん)を生かした木村屋のあんぱん

2020.01.21

クリップについて

 2019年の5月、徳仁天皇(今上天皇)が即位され、10月には即位礼正殿の儀、饗宴の儀、11月には祝賀御列の儀が行われるなど、今年はさまざまな行事が盛大に行われました。今上天皇から遡ること四代。1867年に即位した明治天皇に愛されたのが銀座・木村屋總本店のあんぱんです。1874年に発売を開始し、140年以上にわたって売れ続けている超ロングセラーです。

 木村屋總本店の創業者・木村安兵衛は、1817年に常陸国河内郡(現・茨城県牛久市)で生まれました。木村家の婿養子となり、武士の身分で江戸にある紀州家屋敷の蔵番を務めていました。そんな時、明治維新が起こり職を失ってしまいます。

 その後、安兵衛は、東京府職業授産所の所長に就任していた叔父の木村重義を頼り、同所の事務職として働き始めました。東京府職業授産所は、新政府が開設した職業訓練所のような施設。当時は維新により食いぶちを失った武士や凶作に苦しむ農民が大勢おり、職業授産所はにぎわっていました。ここで、安兵衛は一生を左右する出会いをしたのです。

 長崎のオランダ人宅でコックをしていたことがある梅吉という人物です。その経験から梅吉はパンの製法を習得していました。パンを食べたことがなかった安兵衛は当初、「西洋人の食べ物なら日本人が食べても毒になるまい」くらいに思っていましたが、次第にその将来性に気付いていきます。

日本人の嗜好に合う「あんぱん」を開発

 そして安兵衛は事務職を辞し、1869年、妻ぶんのわずかな蓄えを元手に芝の日陰町(現在の新橋駅付近)にパン店「文英堂」を開業しました。従業員はぶんと息子の英三郎、そして梅吉だけの小さな店です。

 武士の商法という言葉があります。商いなどしたことがなかった武士が商売を始めてもうまくいかないことが多かったことから、商売が下手なことを例えてこのように言いますが、安兵衛も最初はまさに武士の商法。和装から洋装をする人が増え、レンガ造りの建物ができ、それまで食べなかった肉を食べるようになるなど、明治になって日本には急速に西欧文化が流入していました。ところが、パンはなかなか庶民に受け入れられません。しかも開業から1年たたないうちに火事により店が全焼するなど、苦難の連続でした。

 それにくじけなかった安兵衛は心機一転、銀座に引っ越し、屋号を「木村屋」に変えて再出発を図ります。パンを日本人の味覚に合うようにするにはどうすればいいか、頭を悩ませていた安兵衛のヒントになったのがまんじゅうでした。まんじゅうは、皮であんを包んでできています。まんじゅうのように、パンであんを包んだらどうか……。

 今はパンを発酵させるためにイースト菌が主に使われますが、当時はホップから作る天然酵母を使う製法が主流でした。しかしホップは貴重で入手が難しかったため、米とこうじから作る酒種でパンを発酵させます。こうしてできたパン生地で小豆餡(あん)を包み、焼き上げました。外は西洋風で、中は和風。パサパサした西洋のパンとは異なるもちもちした食感で、日本人の味覚に合う「あんぱん」の完成です。

花見のお茶菓子として明治天皇に献上

 1875年、新たに煉瓦街となった銀座の木村屋であんぱんが売り出されました。このあんぱんを気に入ったのが、幕末の偉人の1人、山岡鉄舟です。幕臣として江戸城開城の交渉に当たった鉄舟は、維新後には侍従として明治天皇に仕えていました。そして鉄舟と安兵衛は剣術を通じて旧知の仲でした。「ぜひ、あんぱんを陛下に召し上がっていただこう」と鉄舟は考えます。

 1875年4月4日、向島にある水戸藩の下屋敷で天皇陛下がお花見をする際、お茶菓子としてあんぱんを出すことになりました。安兵衛は桜の名所として知られる奈良の吉野山から八重桜の花びらの塩漬けを取り寄せ、あんぱんに埋め込んで季節感を演出します。そばに控えた鉄舟は固唾をのんで見守りましたが、明治天皇と皇后陛下はいたく気に入られ、「引き続き納めるように」とのお言葉がありました。以来、店頭のあんぱんにも桜の塩漬けがへそ押しされ、木村屋の名物の1つ「酒種 桜」というあんぱんになりました。

 それまで日本でパンは一部の人にしか食されていませんでしたが、こうして宮中御用商となったことがパン食普及のきっかけとなります。同時に、あんぱんも一般に広く知られるようになりました。以降、銀座に出掛けたら木村屋のあんぱんをお土産に買って帰るのが定番になり、それは140年以上たった今でも続いています。

袖すり合った縁を生かした安兵衛

 ビジネスでは、ちょっとしたチャンスを生かせるかどうかが、成功と失敗を左右することがあります。ちょっとしたチャンスは、人との出会いであるケースも少なくありません。江戸時代、徳川家の剣術指南を務めた柳生家の家訓に次のような名言があります。

小才は、縁に出合って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖すり合った縁をも生かす

 木村安兵衛は、2つの袖すり合った縁を生かした大才でした。まずは梅吉との縁、そして山岡鉄舟との縁です。職を探す多くの人であふれた職業授産所の中で、梅吉と出会い、それに人生を懸けたこと。剣術仲間だった山岡鉄舟を、明治天皇とのつながりをつくるきっかけとしたこと。この2つの縁を生かしていなければ、安兵衛の人生はまったく違ったものになっていたでしょう。

 「自分にはチャンスが来ない」とか「いい出会いがない」と嘆くビジネスパーソンは少なくありません。しかし、見方を変えれば、チャンスや出会いに気付いていなかったり、生かし切れていなかったりした可能性もあります。事を成そうと思えば、ちょっとしたチャンスや出会いを見逃さず生かさなくてはならないことを、木村屋のあんぱんから学べるのではないでしょうか。

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執筆=山本 貴也

執筆=山本 貴也

出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。

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